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大蔵達雄 個展

大蔵達雄 プロフィール
長野県の木地師の家に生まれ、東京で塗り物の修行とデザインの勉強をしました。
この仕事に入って40年になります。若いころは従来の食器を手掛けることが多かったのですが、最近は木の表情に心魅かれ、茶道具やインテリア用品まで仕事の幅が広がりつつあります。

【略歴】
1952年 木曾の代々続く木地師の家に生まれる
1972年 東京で漆塗りを村瀬平治氏に師事
 同年  岩手浄法寺で漆掻きを山口富雄氏に師事
 同年  木曾に帰り、木地挽きを父嘉一から伝授
     ~82年まで主に木地挽きに従事
1982年 伊豆に工房を移転、作品作りをメインにする
1987年 第61回国展入選(76回国展、79回国展入選)
1996年 ドイツ巡回展「日本の現代塗物十二人展」~98年
2003年 ぎゃらりー工藝舎にて大蔵達雄展、隔年開催
     黒田陶苑(銀座)にて大蔵達雄展、隔年開催
2011年 日本橋高島屋(暮らしの器とオブジェ展、暮らし三様展)
その他のギャラリー、百貨店にて個展開催

【会員】
漆を語る会、漆を科学する会

【木地師とは】
木地師とは、轆轤(ロクロ)とも呼ばれ、木の器を作っていた職人集団です。平安時代ころから明治前まで、全国の森を自由に移動し、樹木を伐り加工し鉢・盆・椀・仏具などの生活用品を作っていました。
伝説によれば、轆轤を使った木地作りは、9世紀中ごろの「これたか親王」からその家臣達に伝えられたとされています。そして、木地師たちは山の7合目以上の木を自由に伐採しても良いという免許が与えられ、また親王の家臣たちの末裔だということで、「大蔵」「小椋」などの姓を名乗ることを明治以前から許されていました。
明治以前は定住し、各地の漆器生産の礎となっていきました。けれど、今日では中国などから安価な木地が大量に輸入され、産地の木地師たちは大きな試練を受けています。


【根来塗りとは】
根来塗りとは、本来は和歌山県の根来寺で使われていた漆器の塗りのことです。使い込んで朱漆の表面がこすれ下地の黒が見える根来寺の塗り物が味わい深いということで、そこから意味が広がって、そのような景色のある漆器を根来塗りとみなすようになりました。
 例えば、根来塗りの逸品として名高い「日の丸盆」も、東大寺の什器です。高僧のご厚意により手に取って見せてもらう機会がありましたが、私は不思議な感触に心が震えました。作り手として様々な発見があり、それを活かして自分なりの日の丸盆を創っていこうと思っています。
 今日の根来塗りは、使い込む時間を人工的に作ったものという批判もありますが、装飾や模様の一つと捉えていただければと思います。もちろん朱漆から下地を研ぎ出した後その上に漆を塗っていますので、強度も十分に確保されています。私も自作の根来椀を朝晩に使っておりますが、10年でも20年でも美しい姿のままです。